斎藤一-左利き
斎藤一-左利き

みなさん、斎藤一をご存知ですか?幕末に新撰組の副長として活躍した隊士です。斎藤一は左利きかも?という話があったので今回はそれについて書いていきます。また、斎藤一のエピソードについても書いていきますので最後までどうぞご覧くださいね。

1)斎藤一のプロフィール

斎藤一は江戸時代末期の幕末から大正時代まで生きた新撰組隊士です。

江戸で生まれ育ち、19歳の時に旗本を切ってしまい、京都の剣術道場に身を隠して、師範の代稽古を務めていました。

新撰組の前身である壬生浪士組が芹沢鴨や近藤勇らが結成した時に、入隊し、20歳にして副長助勤に抜擢されています。

新撰組では三番隊組長だったとの記録が残っていて、池田屋事件では、土方歳三隊に属していました。

戊辰戦争でも最前線で戦っています。

青森県の東部にあった斗南藩士になり、結婚して子どもが3人生まれています。

明治に入ってからは警視庁に採用され、東京へ移住し、西南戦争にも参加しています。

晩年は、現在の国立科学博物館での守衛や東京女子高等師範学校の庶務会計として勤務しています。

2)斎藤一は左利きか?どうか

斎藤一が出てくる小説や漫画、ドラマや映画などで、斎藤一は左利きの剣士として描かれています。

斎藤一が左利きかどうかは、子母澤寛が旧幕臣の聞き書きをまとめた著書の一つ「新撰組物語」の中に記載されています。

殺害された隊士の死体を斎藤と篠原が検分している時に、「左お突きさ、相手は君と同じ左利きの遣い手だよ。」という会話です。

3)斎藤一のエピソード

斎藤一の左利き説は、実は確かなことではないようです。

漫画や時代劇などで、斎藤一を左利きの剣士として、刀を右腰に差しているという作品がありますが、当時の武士は決まり事として、刀は左腰に差していたそうです。

他にも、斎藤一の生涯は謎に包まれていることが多くあります。

新撰組の中でも強い剣士として隊士の指導も行っていますが、剣術の流派は、はっきりしていません。子孫の言い伝えでは、一刀流とされていますが、沖田総司と同じ天然理心流であるとか、無外流という説も考えられるようです。

新撰組として活躍していた頃は「斎藤一」を名乗っていますが、斗南藩士となってからは、妻の母方の姓、藤田を名乗って「藤田五郎」と改名しています。

しかし、斎藤一と藤田五郎には別人説もあったようです。別人説は新撰組隊士川村三郎の「新撰組往時実践談書」で改名したことが記載されていたため、否定されています。

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